モトカレマニア

高良健吾が久しぶりに連ドラ主演やるというのでモトカレマニアを第一話から観て、クソドラマのにおいがプンプンしたけど高良健吾がカッコ良かったので結局打ち切りとなった最終回まで視聴してしまった。

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モトカレマニア

最終回を観た感想としては、このドラマ、面白くしようと思えばもっと面白くなっただろうな、と思うのでここでわたし企画によるモトカレマニア案を述べてみたいと思う。

 

まず、高良健吾演ずるマコチのキャラが弱すぎたのが結局敗因の全てではないかと思う。優しくて仕事も一生懸命でちょっと天然なところもあるけどそれも愛敬というマコチのキャラクター。ドラマの全てが新木優子演ずるユリカ側の視点からのみ語られ、マコチが愛され続けるだけの対象であり、マコチからの愛を獲得するのが目的のドラマであるのなら、こういう愛すべきイケメンというキャラでよかったかもしれない(まあそれはそれでクソつまらないとは思うが)。しかしドラマは中盤矢印がスイッチし、マコチがユリカを追いかけたり悩んだりするという展開にもなる。

こうして二人の悩みやすれ違いを描きながらもお互いに成長し関係性を築き上げるというのがドラマの主旨だった。

 

そのテーマを描くのであれば、もっとキャラクターを掘り下げて、そのキャラクター性によって物語がドライブし、二人の関係性やすれ違いを際立たせるドラマ運びにすべきだったと思う。なにせどの展開もテンション高い割に味付けが薄く、そのくせ昼ドラみたいにありがちな展開ばかりなんだもの。

 

そこで提案したいこうあるべきだったモトカレマニア案として、マコチの天然キャラ性をもっと極端なものにして、ユリカの好き好きっぷりとメリハリをつけるというもの。

例えば…

マコチが山奥のど田舎村出身の野生児で都会に出てきてユリカと出会うが、恋愛らしい恋愛も分からず、シティガールのユリカの恋心にも鈍感でとにかくズレまくるがそのピュアさゆえにふたりはやがて結ばれるというターザン方式

 

例えば…

江戸時代の侍が現代にタイムスリップして都会の女性と恋に落ちる逆・戦国自衛隊あるいはちょんまげぷりん方式

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ちょんまげぷりん

 

…「モトカレ」という前提完全無視だし何言ってんだこいつと思われるかもしれないけどこのくらいキャラに特徴を与えたほうが面白くなったんじゃないだろうかと思う。

おそらくマコチのキャラ自体は高良健吾の過去作の中から「横道世之介」や「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」の練くん*1のキャラクターを踏襲しているとは思われるのだがそれらをミックスし、現代的なリアリティと噛み合わせた時にとても弱いものになってしまっている。これらの二作のような純朴なキャラクターが恋愛というドラマに投げ出された時にどんな挙動をとるのかを突き詰めたほうがよかったんじゃないかなあと思う。

例えば2015年のフジテレビ月9の名作「デート〜恋とはどんなものかしら」では普通の恋愛と結びつきそうにないキャラクターたちが恋愛ドラマに投げ出された時に当たり前のことを当たり前にすることがどんなにも素晴らしい輝きを放つのかを新鮮さと驚きをもって届けてくれた。

デート恋とはどんなものかしら

このドラマにあったようなキャラクターの強さによって物語の面白さを倍加させるようなことができたんじゃないかなと思う。少なくともポップなコメディタッチをとっているんだからそれくらいの過剰をみせてもよかった気がする。

脳内会議とか女子同士の赤裸々トークみたいなのを売りにしていたかもしれないけどそれも対して面白くなかったしなあ。ネットでバズらせようとか映えさせよう!みたいな下心によって全体的に中途半端でつまんないものにしてしまっていた。

まあ、これに懲りずぜひともまた高良健吾くん主演で連ドラを作って欲しいものです。どんなにつまらくてもみるので。

 

*1:脚本の並木道子はいつ恋も手掛けていた。また、最終回マコチとユリカが引っ越す時頼む引っ越し屋がいつ恋でも登場した「柿谷運送」