NARUTOの感想

※この記事は過去ブログからサルベージされました。
Twitterとか見てくれてる人はもうご存知かと思いますが、ここ一ヶ月くらいNARUTOという漫画にはまっていまして。

皆さんご存知ですかね?つい先月まで週刊少年ジャンプで連載していて、15年の連載がこの度大団円を迎えたという。

それで、NARUTOのアプリというものがリリースされまして。このアプリで漫画が一日一話更新されるというので読んでみようと思い、読み始めたのです。

そして、すっかりはまってしまいまして。

 

連載が始まったのはわたしが11歳のころですか。

中学生くらいの時に弟が友だちから借りてきていてちらっと読んではいたのですが、ザブザ戦あたりで読むのをやめていたようです。アニメもちらっとしかみてなかった。

 

ほとんど覚えてなかったんですが、読み始めるととてもおもしろくて、早く次読みたい!ってなってアプリで読むのも待ちきれず、会社の帰り道にある古本屋で立ち読みし・・・それでももっと読みたいので漫画喫茶に3回ほど行きまして。それでようやく現在単行本が出ているところ(71巻)まで読むことができました。残りは最終巻のみ!699話は漫喫でジャンプ置いてあったので読んだのですが、そのジャンプ、NARUTOの700話のところだけ綺麗さっぱり切り取られていましたね・・・。最終回を読むのは単行本の楽しみにしたいと思います。(ほとんどネタバレしてるけど)

 

と、いうわけで現時点でのわたしのNARUTOの感想についてつらつらと書いていきたいと思います。あまりまとまらないと思いますがよろしくお願いします。

※(ネタバレを多く含みますのでご注意ください) ※

 

NARUTO (巻ノ1) (ジャンプ・コミックス)

NARUTO (巻ノ1) (ジャンプ・コミックス)

 

 

 

NARUTO評に関しては夏目房之介が書いている「80年代読者の成長 岸本斉史NARUTO』」という文章がわかりやすく興味深かったです。

 

 

マンガは今どうなっておるのか?

マンガは今どうなっておるのか?

 

 まず、夏目房之介はこの作品がジャンプで連載していることに触れ、ジャンプで連載をスタートした新人漫画家が成長する物語としても読むことができると述べている。

バクマン」なんていう作品もあったくらいなので既によく知られていることですが、ジャンプで連載する作家は編集者とかなり密接なタッグを組み、毎週あるアンケートレースからこぼれ落ちないように真剣勝負をしている。マンガを描くことは戦うこと。そして勝利すること。

NARUTOに関してはそういった作者による登場人物への自己投影が実に顕著だ。

マンガが大好きで、これしか得意なものがないという作者が試行錯誤を繰り返し、読者に面白いと思ってもらえるマンガを作り上げていく。

 

また、NARUTOにはもうひとつの要素があると指摘している。

それはこの作品が戦後マンガの様々な要素が地層のように重なってできているということだ。

忍者漫画ということでいうと立川文庫的な子供向けのドロンとガマに化ける忍術もあれば白土三平のような理屈のある忍法であったり、階級制であるという点が近い。

そしてバトルマンガの流れで言うならばなんといっても鳥山明大友克洋の影響がなんといっても大きい。岸本斉史が少年期を過ごした時代は青年まんがが急激に発展した時期であり、少年ジャンプの黄金期と言われた時代だ。さらにマンガだけではなくゲームも流行った時代である。この辺りに影響を受けているということは作者自身がコミックスの余白ページに書いている。

 

そしてNARUTOがバトル要素だけではなくドラゴンボールの初期やDr.スランプのような楽園的な世界観を持っていること、そして学園ラブコメ的な要素も取り入れていることを指摘している。

挙げればきりがないのだろうが、チャクラという考え方や様々な忍法、忍具は既存のサブカルチャーに元ネタを発見できるものばかりだ。

 

さらに夏目房之介は岸本の作家性だけではなくマーケティング的な部分も指摘する。

前述のとおり、ジャンプは毎週アンケートによる人気投票が行われる。読者からの評判が悪いと情け無用で打ち切りとなるということは読者にもよく知られていることだ。

そういったこともあるし、また岸本自身がデビュー前に「どうして自分の漫画は面白く無いのか」と友だちに尋ねたところその友だちは「自分では楽しく描いてても読者はおいてけぼっちなんよ。読んでくれって感じがせんわ」と言われた経験があるらしい。

そのこともあって読者のことを実に気にしている。

受け手側のことを気にしてマンガを描き、その作品を読者は喜んで受け取る。夏目はこれを「読者・作者共同体」と言い表している。

戦後マンガはそのような共同体によって発展してきた。その点から見てもNARUTOが戦後漫画の地層であり、歴史のようなものだと言えるのかもしれない。ただし、夏目のようなオタク第一世代が歴史の重層のように捉えているものを74年生まれの岸本自身は単なるデータベースとしてしか捉えていないのではということも指摘されている。だからこそこのようにすべての情報が等価であるかのように再構成される。

 

さて、ここまで夏目房之介の評価についてざっくりと紹介してきましたが、それを踏まえて私の感想を書いていきたいと思います。

 

まず、夏目房之介も指摘していることなのですが、作者はすごく熱心で努力家なんですよね。自身でも書いていたのですが、マンガ家としてデビューするために物語の作り方から勉強し、映画を観まくり脚本も勉強したということ。

ですから、物語としての骨子がすごくしっかりしているということがわかります。

15年という連載のなかでいろいろな枝葉末節もあったのですが、それでも物語の屋台骨がしっかりと組まれているから揺らがない。

まず、物語に神話的な構造を取り入れているということが大きい。

善と悪という二項対立があり、その二つの相異なるものがぶつかりあいまじりあおうとすることでエネルギーになる。

これはつまり忍術を使うときのチャクラの理屈なのですが、このチャクラの理論が物語に通底している。

 

うずまきナルトという主人公。これは正義の味方、ヒーロー、善なるものとして配置される。

それに対してライバルのうちはサスケは復讐のためには手段を厭わない。特に後半にいけばいくほど彼の悪役っぷりは際立っていく。

この二人の主人公の離反と和解が物語の基本構造にある。

それがまず根底にある。

そして同じようなモチーフは物語中に何度か繰り返される。

物語の前半でナルトの対立要素として配置されたのは砂の国の我愛羅という少年だった。

この少年はナルトと似たような境遇を生きたが愛を知らずに育った。

見た目にも髪型などはナルトにちょっと似ていて、鏡写しのような存在として意図的に書かれているということがわかる。

 

相対する二つの要素がまじりあう様、それはつまり主人公の名前「うずまきナルト」にも現れているものであり、彼の得意技「螺旋丸」でもあり・・・。

とこの渦を巻く、螺旋、というモチーフも繰り返し現れるものであります。

 

そのモチーフの繰り返しは作品のテーマをより強固にしていくし、なによりとてもわかり易い。

こういった骨太のテーマがあるからこそ連載中にいろんなところに寄り道してもブレないし、むしろ作品はより豊かに彩られる。

そして連載の初期から張り巡らされた伏線はつぎつぎとしっかり回収されていく。

素直にうまいなあ、と思いましたね。

読者・作者共同体もどんどん強固になっていく。読者への目配せを忘れない作者は実に周到だなと思いました。

腐女子へのサービスも忘れないし、人気のあるキャラは出番を増やすし。

何より最後にこれまで死んだキャラが大集合するとかファンサービス以外の何ものでもないですからね。

 

まあ、最後の忍界大戦編はちょっと作者飽々してるのかなという感じはしました。

編集部に描かされて伸び伸びになっているという感じがしましたから。全編のなかで唯一冗長さを感じたところですね。まあ、物語を閉じる構造として矛盾はしてないので作者としても描きたかったところではあるのかもしれませんが、それだとちょっと詰め過ぎな感じもしますし。

週刊連載がさすがにキツかったのかなとは思った。鳥山明と同じように、もう描きたくなくなったんじゃないかとか。

でも、できたらドラゴンボールと同じように子世代の話とか読みたいですね。映画だけでなく。。多分作者の頭の中にはあると思うので。

 

なんか感想としてまとまりがなくなってきましたが、最後にこれだけは書いておきたい。

登場人物のなかで一番わたしが好きなのは春野サクラというキャラクターです。

ナルト、サスケとともに同じチームを組む女の子ですが、わたしは初期からずっと彼女が好きですね。

二面性があって、ちょっと小狡いところがあって、いい意味でも悪い意味でも女の子っぽいんですよね。

きっと作者にとっての女の子像ってこういう子なんだと思う。

バトル漫画の舞台においてこういう子は結構邪魔。

対して役にたつわけではない。むしろ守られてばっかりで足手まといになって。そのくせ責任感から一人で突っ走って。

でも、ナルトにもサスケにもできないことを唯一、この子だけが最後までやりきったと思っています。

それは、ひたすらに、ひたむきに愛を与えるという行為。

これは女の子の、サクラちゃんにしかできなかったことだと思う。

そういう存在が七班にとって必要だった。

NARUTOの物語のなかで一番成長したのはサクラちゃんなのではないか、と私は思っています。彼女は座右の銘である「一生愛の人生よ!」を実現したのだなあ、と本当に感動しました。

 

ああ、なんかまとまりないし、言いたいこと言い切れた感じがしない。また追記するかもしれないです。