2020年8月18日

アイロンがけをしながら家族と小さい頃の最初の記憶について話をした。

家族はおばあちゃんの家に行ってお風呂上がりにおばあちゃんにタオルで体を拭かれているのが思い出せる一番古い記憶だと言った。

わたしも一番古い記憶はお風呂で、お風呂から出る時に浴室のドアを開けているとき、「この場面をずっと覚えていよう」ってなんか急に意識をしたんだけど、それが一番古い記憶だと思っている。

子供のころ、夢でみた出来事と過去に実際に体験した出来事が別物であるということが不思議だった。過去の出来事と夢でみた出来事をどうやって区別しているんだろう、この「今」も過去の出来事になって夢と区別できなくなるんじゃないか、だったらこの「今」の瞬間をよく覚えておこう、と意識したんだよな。この「今」は夢じゃない、過去でもない、と気づいた。なぜから「今」こうして「私が」考えているから。お風呂の戸を開けた時にそれに気づいた。その瞬間に「自分」が「今」ここで「考えている」という自意識が爆誕したのを覚えている。だからわたしの一番古い記憶は自意識が生まれた瞬間ということになる。

この話、はじめて人にはっきり話したかも。ぼんやり意識していたことをはじめて言語化した。

この自我が生まれて以降、大人が言う整合性のとれないこととかに対して理不尽さを感じるようになった。そして同時に「こんなことを考えているのは自分だけなんじゃないか」というふうにも思うようになった。子供の頃ってそんなことを考えていても口に出して言えないから余計に内省的になる。

だから、町田康の「告白」を読んだときは自分が子供のころから感じていた孤独感の正体が描かれているようなきがしたんだよな。

 

告白 (中公文庫)

告白 (中公文庫)

  • 作者:町田 康
  • 発売日: 2008/02/01
  • メディア: 文庫
 

 子供のころの話をしていたら過去の黒歴史の話にもなった。

中学生くらいまでは保育園のころの恥ずかしい体験を思い出して赤面してたけど今はもう保育園のころの体験じゃ恥ずかしいと思わなくなった。だんだんむしろ20代の頃の記憶がキツくなってきてんだけど、これもだんだん発酵して食えるようになるんじゃないだろうか、というようなことを話した。

あと中学のころイケてる女子たちがポエムつきのイラストを書くブームみたいなのあったけどあれには関わらなくて心底よかったと思っている。というようなことを言ったらイケてる人たちにとってはそういうのも黒歴史にならない、過去のことを何も気にしてないよ彼らは、と家族が言った。キスプリとか撮ったりしたら私らは完全に黒歴史だけど彼ら彼女らにとっては昔の恋人とかプリクラとかも単なる思い出の1ページであって現在にまったく干渉してこないらしい。夜寝る前に思い出してうわ〜〜!!ってなることもないんだろう。

わたしは恥ずかしい過去を思い出したときはそれを打ち消すために「あ“〜〜〜」って言います。