クィア・アイ / デヴィッド・コリンズ

最近夕飯の時間帯には特にみたいテレビがないと動画配信サイトのコンテンツを流している(今どき多くの家庭がそうなっているだろう!)。

最近のお気に入りはNetflixの「クィア・アイ」。

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クィア・アイ

ファブ・5(Fabulous Five)と呼ばれる5人の専門家が依頼人から依頼を受け、ヒーローと呼ばれる人物を変身させるというバラエティ番組だ。

日本でもイケてない髪型やファッションやお部屋を変身させちゃおうって企画は多いけど、クィア・アイがよく言われているのは押し付けがましさや説教臭さがないっていうところ。

とにかくファブ・5の5人が優しい、泣けるという評判だ。

実際、日本版がリリースされたタイミングで見始めたんだけどわたしも毎回泣かされてばかりいる。ヒーローと一緒にファブ・5のメンバーもよく泣いている。

イケてないヒーローを説教して変わらせるんじゃなく「君は素晴らしい人間だからもっと幸せになってほしい。自分らしく人生を楽しもう!」というメッセージを送り続けている。

一体どんな人生を送ればそんなに人に優しく力づける言葉を伝えられるんだろうと思ってしまうけど、実際ファブ・5のメンバーもマイノリティということで心を傷つけられたりつらい思いをいっぱいしてきたからこその今があるんだろうなというのは場面の節々から読み取れる。

また、ヒーローの力になるためというのと、影響力のあるコンテンツで発するメッセージだからこその責任感をもってチームでいろいろと話し合いながら使う言葉一つとっても細心の注意を払っているんじゃないかと思う。

日本での収録の様子を紹介するこんな記事もあった

「スレンダーな体形こそ美しい」という既成概念にとらわれず、自分らしい体形を肯定的に捉える「ボディポジティブ」のムーブメントの日本代表とも言われる渡辺直美に、彼らが連絡をとるシーンでのひと幕だ。

「彼女こそまさに僕らが理想とする美しさを持つ女性だ!」という内容の構成に対し、「ひとつの像が、理想の美しさと誤解されかねない」と違和感を抱いたメンバーたちは撮影を中断。ソファーに集まって「こんな言い方はどう?」とお互いが納得するまで意見を交わし合っていた。『クィア・アイ』に流れる、人をジャッジしないフェアでピースフルなムードは、5人のたゆまぬ努力と意識、責任感によって支えられているのかもしれない。

 

 https://spur.hpplus.jp/culture/topics/201911/06/MRNDBSY/

 

リアリティーショーとは言え、コンテンツとして配信する以上、すべてを映すことはできないし、ある程度作っている部分もあると思う。それはメッセージを発信する側の責任でもあるし。

 

もちろんすべて完璧に彼らがこなしているかというとそうではないと思う。メンタル担当のカラモは多少強引に自己肯定のプロセスを踏む時があるし(自己啓発セミナーみたいにみえてちょっと怖い)、高齢の姉妹が営むバーベキュー屋さんのソースを商品化するときも秘伝のソースをそんなにあっさり商品化しちゃっていいの!?とちょっとハラハラすることもある。

ただ、リアリティーショー自体の倫理的な是非も問われたりする中でこれはある種最適解の一つなのかなあと思ったりする。(ファブ・5は番組終了後もヒーローと連絡先を交換したりして連絡をとりあっているらしい)*1

 

「自分自身を愛さないで一体どうやって人を愛するっていうの!?」

少なくともファブ・5を心の中に宿しておくだけで自分も勇気づけられて、ちょっと人にも優しい言葉をかけることができるんじゃないだろうか、なんて思ってる。

 

*1:ちなみに同じくNetflixの人気番組のこんまりお片付けは何話か見てスピリチュアルなムードについていけなくて視聴をやめてしまった。